4.源氏物語箒木の歌碑

rekishi_p04暮白の滝の手前にある滝見台への道横に、台石を省いてどっしりと据えられた一対の相聞歌の歌碑である。

「源氏物語」は外国にまでも知られた平安時代中期の長編物語で 五十四帖からなる。

作者が紫式部という女性であることも当時の文化を知る上で興味深い。

歌碑の歌は第二帖「箒木」の巻にあるもので、光源氏が想いをよせた女性「空蝉」に贈った歌と、自分の身分を賤しんで応じようとしない空蝉の返歌であるが、どちらも園原にあった不思議な名木「ははき木」にことよせて作られた技巧的な歌である。

ははき木については、次項の歌碑に刻まれた坂上是則の、園原や伏屋におふるははき木のありとはみえてあはぬ君かなをふまえて詠まれたものである。

是則の作歌から源氏物語の成立までには、おおよそ百年の月日が経ているが、「園原」の「ははき木」が都の人々に知られていて、多くの贈答歌などに言葉のアヤとなったり、比喩(たとえ)となったりして使われていたことが想像される。

昭和三十六年に当時飯田図書館長であった池田寿一先生が編纂された歌集「伊那」古歌編から、平安時代に作られた「箒木」を詠みこんだ歌を拾い上げてみると十七首に及んでいる。

この歌碑の副碑には次の文言が刻まれている。

箒木の心を知れで園原の道にあやなく惑ひぬるかな
光 源 氏

数ならぬ伏屋に生ふる名のうさにあるにもあらず消ゆる箒木
空 蝉

出典  源氏物語 第二帖 箒木
作者  紫式部(九七〇頃~一〇一六頃)

大意  箒木のように近寄ると消えてしまうあなたの気持ちも知らず近づこうとして、いたずらに園原の道に迷ってしまいました。
光源氏

いやしい伏屋の生まれといわれるのがつらくて、箒木のように消え入りたい私でございます。
空  蝉

なお、現実の箒木は、この歌碑の北方、林道に案内板のある所から細い山道を一五〇m ほど登った山の東斜面にあったが、昭和三十三年九月の台風で倒れてしまい、今は枯死した幹の根本の部分数mを残すのみとなってしまい後継木はまだ若い。