2.万葉集東歌の歌碑

rekishi_p02神坂神社入口の階段横に建てられた万葉集東歌の歌碑は、万葉集学者で独特の朗詠で知られる犬養孝文学博士の揮毫により、万葉仮名で次のように刻されている。

信濃道者伊麻能波里美知可里婆祢尓安思布麻之牟奈久都波気和我世

本碑の脇の副碑には、この歌の読み方や大意などが埋め込みの鋼板に刻まれている。

信濃道は今の墾り道刈りばねに足ふましむな沓はけわが背
万葉集東歌  巻十四-三三九九

大意 信濃路は今できた道です。
木の切り株で足にけがをなさいますな。
沓をはきなさい、あなた。

和銅六年(七一三年)吉蘇路(東山道)開通に関係ある歌か。

揮毫  大阪大学名誉教授
甲南女子大学名誉教授 犬養 孝
文化功労者・文学博士

この副碑は犬養先生の助言によるもので、今回建立の他の四基もすべて同様の副碑を併設した。

このような立派な副碑をもつ文学碑は、あまり例をみないものである。

この歌の「信濃道」とはどこをさすのかがしばしば問題になるのだが、「続日本紀」の「大宝二年始メテ岐蘇山道ヲ開ク」と同書の和銅六年の「美濃・信濃二国ノ堺、径道険隘ニシテ往還歎難ナリ、仍テ吉蘇路ヲ通ス」を論拠としてS61年刊の小学館「完訳日本の古典・万葉集」では「吉蘇路は今日の岐阜県中津川市の坂本から長野県阿智村に越える神坂峠がそれである」とし、同年刊の有斐閣「万葉集全注」では、
「大宝二年開通の岐蘇山道も和銅六年開通の吉蘇路も共に現在の木曾街道とする『大日本地名辞書』の吉田東伍説」、
「大宝二年の岐蘇山道を開くは神御坂とする一志茂樹説」、
「神坂峠越えとする歌人の土屋文明説」「清内路越えとする田辺幸雄説」などをあげているが、
この「全注」巻第十四の筆者水島義治先生は「吉蘇路は現在の木曽路=木曾街道とするのが定説」としつつも、防人の歌の「神の御坂」は神坂峠で動かないとし、「改めて、いったい信濃路とはどこなのかと考えさせられる。」と結んでいる。

また歌の解訳にしても、
「女の許に通って来た男が帰ろうとする時に女の言った言葉である」という考えかたもあるが、「信濃路の開設まもない頃にできた地方民謡」とする説もあり、沓についても前記の小学館本は「馬に足を怪我させなさるな、沓をはかせてあやりなさい、あなた」としている。

馬の沓ではこの歌の作者の女性の愛情も半減してしまう。

すなおに「旅立つ夫の門出に、夫の身を案じた妻の歌」と解したい。

この歌で「沓」というのは履物一般をいい、布・皮・木・藁などで作った足を覆う物、ここではたぶん藁靴かわらじのようなものといわれる。

なお、この歌の歌碑は県内にすでに二基があり、一基は東筑摩郡四賀村の保福寺峠にあるもので昭和五十八年建設、碑の高さ二九〇cmという大きなもの、もう一基は更科郡上山田町の千曲川のほとり万葉公園にあるもので、昭和六〇年建設、碑高は一四一cmである。

保福寺峠の碑は園原の碑と同じ万葉仮名で書かれているが、千曲川畔の碑はひらかなまじりの文体である。

この歌碑の除幕は他の四基に先立って平成六年十月三十日に、西宮市から犬養先生をお招きして行われた。

よい場所に建ててくれたと犬養先生はたいへん御満悦であった。